◎守・破・離

空手道でも、剣道でも、書道でも、茶でも、花でも、その修行の過程を「守」・「破」・「離」の三段階に分けている。

「守」というのは、一から十まで型通りにやることであり、それが一通り終る頃になると、型にはまり融通のきかないものになるので、「破」の段階に入れというのです。「破」とは文字通り「破る」ことで、型にはまったことを破って行く努力をすることであり、一寸考えると何でもないことのようですが、それは「守」の段階をふまない人の考えることで、本当に「守」の型にはまった人がそれを破るということは実に容易でないことです。
  最近、私たちの空手の中で、型が大変に上手であるが、組手が出来ない人たちを見かけます。大会でも型は型、組手は組手というふうに分けているようです。本当は型が上手で組手が強いという様にならなければならないと思います。一つ一つの技が上手になれば、組手に生かせなければ意味がなく、「守」から「破」ることがむずかしく、出来ないのではないかと思っています。
 ところで、「破」の段階を卒業すると、はじめて「離」の段階に入るのですが「守」からも「破」からも離れて型通りやらなければならぬ時には型通りにやり、型を破る必要のある時には、これを破りそれこそ「心の欲する所に従って矩をこえず」の境に達するのですが、それが仲々容易のことではなく、それこそ、一所懸命一所懸命一所懸命のことなのです。というのは、一応は「守」−「破」−「離」−の段階を経て、自由の境地に遊び得たと思っているうちに、あるいは内的にあるいは外的にその時の自己の力量以上の問題にぶつかると、これではならないという自己疑惑、もしくは自己否定に陥り、更により高き段階の新たなるものを求めて、これに対して「守」の修行に進み、「破」に進み、「離」に進み、守破離守破離、と進むのが真面目な人生のすがたと思います。