武士道
武士道における名誉

名を尊び自分に恥じない高潔な生き方を守る。

命より名こそ惜しけれ 武士(もののふ)の道をば たれもかくやおもわん
:森迫親世

不名誉な「生」より名誉ある「死」を求めたものとして「武士道の誉れ」とされ、その散り際をあっぱれとした。

花は桜木、人は武士:散り際の美しさを賛美した

武士道の死は生を高めるための「死生観」であり、それは「どう生きながらえるか」ではなく、むしろ「どう美しく死ぬか」であり、同時に「なんのために生きるか」という根元的な哲学の上にある。そこから転じて、武士道は死を超えても守らなければならない「道義」のために、死をも美学として昇華させたのである。

一般に名誉の観念は「名」「面目」「外聞」などの言葉で表されるが、「廉恥心」すなわち「恥を知ること」である。廉恥という言葉はすでに死語だが、この反対が破廉恥である。「人に笑われるぞ」「体面を汚すな」「恥ずかしいことをするな」などの言葉は、過ちを犯した子供の振る舞いを正す最後の切り札であった。そのため武士道における徳にはすべて「恥」の意識が働いていたのである。いわば名誉は、恥を知る心の裏返しとなって、人間が人間としての美学を縫うための最初の徳となり、武士にあっては「命」以上に重きを置くようになったのである。つねに桜のように美しく散れと。日本人の精神文化が“恥の文化”とされるのは、こうした長い年月のなかで培(つちか)われたものだったといえる。

いま、なぜ「武士道」か  岬龍一郎 致知出版社