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武士道は人が人として行うべき道徳を、たんに内面の精神のみに閉じ込めておくのではなく、行動の美学として、「型」としての「礼」を作り上げてきた。その典型は「切腹」という儀式であるが、それらの型は言葉使いから立ち振る舞いまで厳格に守られた。礼の根本は仁、義である。すなわち、本心良心に宿る根本の徳の「仁」を、また、そこから生まれ出た人としての正しい行いの「義」を、型にしたのが「礼」である。礼の本質は「相手を思いやる心」を目に見えるかたちで表現したものであり、ほかの徳目(仁、義、信など)と相互して存在するものである。したがって日常の挨拶ですら相手を思いやる心がなければ、それはたんなる所作であり、礼とは言えず、「慇懃無礼」となり、かえって「失礼」になる。 「衣食足りて礼節を知る」 「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云うなり、衣食を豊かにして人品を貴くするを云うなり」
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| 我が日本は現在に至り衣食は十分足りているが、それにともなって礼節を忘れている。それは戦後の民主主義は我々に自由と権利を教えてくれたが「自由」を身勝手とはき違え、「権利」には「義務」がともなっていることを忘れたところに問題がある。礼節でいえば、最も悪くなったのは言葉遣いである。言葉は心の表現手段の第一であるにもかかわらず、尊敬語、丁寧語は忘れられ年上、年下、男、女の区別もなく、男だか女だかわからない言葉使いになってきている。そして次に悪くなったのが所作態度である。長幼の序としての年配者や自分より偉い人への接し方、先生や親に接する態度である。さらに最近目立つのが電車の中で、人目もはばからずやっている若い娘たちの化粧、である。化粧は美しく見せるためするものであるのに、醜態をさらけ出している。 | ||
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いま、なぜ「武士道」か 岬龍一郎 致知出版社 |