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北上川に囲まれたこの桃生地方は、今、わかっている
だけで、四〜五千年前から人が住み、約1300年前頃
になると、沢山の人達が、西の方から移ってきて、開拓
を進めたり、時には悪者たちと戦ったりして、
国造りに力を注いできた所です。
800年前の源平合戦では、義経を総大将とする北国
の勇者たちが、遠く四国、九州あたりまで平家を追って
滅亡させ、或いは、南北朝の内乱にあたっては、多賀城
の鎮守府将軍を助け、葛西公に従って上洛して、各地に
転戦するなど、日本歴史の上で、何等かの役割
を果たして来たに違いありません。
都市の人の目には、山深い不便な田舎に見えるかも
知れませんが、この大自然の中から身も心も強い、
世の中の役に立つ人間が育つところでもあります。
江戸時代にも、この永井からは、剣豪、相沢永長斎
が出て、北は津軽から四国、九州まで行脚して、
試合を挑み、一度も負けたことがなく、永井に帰っ
てからも、小山一刀流の開祖として、あるいは、
浅山一伝流の柔術を広めたりしながら五千人余りの 門弟を育てたといいます。
高須賀の竹永直人は、柳生新陰流から、柳生心眼流
(注)を編み出してその開祖となるなど、この地方
こそ武道の発信地でもあるように感じられます。
この地方から、全国に、輝かしい実績を示した
多くの先輩達に続いて、若い男女諸君が、「天地
正大の氣」と、「不動の心」で、未来に向か
って、一層の奮起を期待して居ります。
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